恩賜のテーブル?

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      だからさ恩賜じゃないって言ってるでしょ。恩賜じゃなくって恩師。わかってるのか
    なァ? この言葉の同音異語は二つっきゃない。つまりは、恩賜と恩師。問題は、その恩師
    のテーブル。といってもすでに板だけでしかないけど。なんたって30年ほども前のことだか
    ら、いろいろ紆余変転はあるわけですよ。人生にもあるんならテーブルにだってあっておか
    しくはない紆余変転。地下の事務所を中心とした20mほどの円の中をあちこちに巡り巡って
    幾年月。外見は皺こそないものの当て傷や取り付け痕のあとやシミなどまさに歴戦の勇士。
     店主にとって恩師と言えるのは今までの人生に於いて二人しかいません。その一人の方が
    引っ越しするにあたって部屋にあるものどれでもいいから好きなものを持って行っていいわ
    よという状況で頂いてきたものの中。あれやこれや貰ってきました。お名前は桂木利子先
    生、東京デザイナー学院インテリアデザイン科の講師で、恥ずかしながら私も教え子末席
    を汚しているのでありまする。多分私よりも6〜7才年上。まったく仰ぎ見るような存在だっ
    たし、今でも仰ぎ続けっぱなしで、会えるものならお会いしたい候補の筆頭格。
     東デを卒業して就職が決まりかけていた時に学校の助手にならないかと声を掛けていただ
    いたし、その後助手から専任になってからもいつもお手本になっていた存在。この学校には
    今も週一回程度教えに行ってるんだけど、すでに最古参となっている私。およそ40年以上関
    わっているけど私が知る教師の中でも最優秀の一人であることは間違いない。その彼女が指
    導した学生の卒業制作はなぜか常に秀作なの。そこで指導方法をお聞きしたら「スケッチ描
    いちゃだめよ」と言われたこと。で、アタシャ仰け反ったわけ。デザインの授業で学生にア
    ドバイスする時にスケッチを封印することなんか私には考えられません。スケッチを描かな
    いでどうやって指導するのかいな? 言葉だけってことですかい。
     立体系のデザインで自分の考えを表現するのにスケッチは欠かせない。かたちや機能や構
    造などを表わすにはスケッチが必要です。でも反面、スケッチを描いてしまうとアイデアは
    限定されたものになり学生は描かれたスケッチの影響を受けるし幻惑されもする。つまり
    は、学生の想像の翼を折ることになり、自分で考えることの放棄につながります。それはわ
    かる、わかるけどアタイには出来ない。そんな画期的な指導方法は私には到底な無理難題。
    だから、不肖の弟子の私は今でも指導する時にはスケッチを描いてしまうけど、そのたびに
    心中では「ゴメンネ、桂木さん」と手を合わせつつ・・・・・・・・な、ヘッポコ教師。
     また、私が結婚した時にレコードとともに一通の葉書が送られて来て、その中にボーヴォ
    ワールの述べたことが書かれておりました。「結婚は、個人を孤独から救い家庭と子供を与
    えて、空間を時間の中に安定させる生存の決定的な目的遂行である」と。ドヒャ〜、ボー
    ヴォワールですかい!! ボーヴォワールといえばサルトル、サルトルといえば実存主義。
    うーむ、当時26才の私にはわかるはずもない世界。悲しいかな、今でもわかりませぬ。いや
    日頃ボーヴォワールなんて一切口に出さない方でしたからね。物腰柔らかく、むずかしい言
    葉なんか使わない、指導される学生のアイデアを否定することもないし自分の考えを押し付
    けることもしない。だけど出来上がった作品は常に一定のレベル以上。その根底にあったも
    のの一つがボーヴォワールであったか。この葉書は、今もお店のトイレに掛けられていま
    す。おシッコするたびに読み返します。
     一枚がこれ。最初っから板だけだった。多分、製図板に使われていたのか。あちこち転々
    とした板ですから汚れているしビス穴も開いています。これを、工房にセット。ここで何を
    するのかといえばモデルを作ったり紙を切ったり貼ったり。今までそんな軽作業は事務所で
    やってたんだけど、ライブ会場に変身した今じゃ大きな作業台は置く事叶わず。見ての通り
    なんのこともない単なる化粧板です。けど、私にとっちゃ単なる板ではない。切り刻むこと
    なんか出来ませぬ。
     そしてもう一枚、
     これは元々は座卓だった。短い脚は切り離して別の家具に使いました。で、残ったのがこ
    の板。今までは地下で使っていたけど重くて取り外しが面倒。この板もあちこち流浪してい
    たから小傷はあるけど。現段階ではここに仮住まいと相成った。とはいえ、最初は座卓、そ
    れを椅子用に直し、さらに既存の棚に合わせたから脚は伸ばさないとならなくなり、
     このように付け足し脚の現状で。こうしないととりあえずにも設置出来ない。ちょっと見
    ダリが描く象の脚のようでもあり。当たり前の事、かなり不安定で何も置けませんけ。まん
    ずハァ、当面はこれで我慢。しかる後に脚を作らねばならない。この板は無垢材ですから、
    それなりの扱いをして差し上げないと失礼になります。ここなら、悪くないでしょう。
     で、恩師その二。これも東デ関係。4代前の学校長の長田先生。私よりも20才以上年上だ
    けど連絡が途切れてずいぶん経ちました。お元気なのかなァ。一番の思い出は東デ職員の歴
    史上でもかなりの大事件のこと。学生数は今のほぼ10倍(推定です)くらいでまだまだ景気
    が良かったころに事務職員と教師たちが伊豆半島に研修旅行に行ったんです。まぁ、慰安旅
    行みたいなもんだけど。全員がほとんど20代、しかも男女混合です。なにか起こらないわけ
    がありません。
     キッカケは忘れたけど女子職員の一室で飲み会になってしまい、果ては酒がなくなってホ
    テルの厨房に忍び込んでガッサリと酒を調達の仕儀。まったく大盛り上がりなのです。その
    中でも一組のカップルが出来上がって抱き合ってキスして脚で襖を蹴りまくる。夜中になっ
    て隣室の年配の女子職員が注意し叱責するんだけどおさまりのつきようもない状態は朝まで
    続き。全員揃っての朝会になっても泥酔して抱き合った二人を誰も離すはできない。一応
    言っておくけど抱き合ったのは二人だけ。私を含め他の面々はそんな破廉恥なことはしたく
    てもできないオボコぶり。でね、抱き合ってる二人は放置して我々は帰ってきたわけです。
     さて、その後学校は始まったわけだけど、ひそかに大騒ぎになっておりまして。この一件
    が理事長の耳にも入ってしまい、片や職員室片や事務室でそれぞれ聴き取り調査が始まって
    しまったわけ。我々教師の聴き取りを担当したのが当時の学校長の長田さん。名前を呼ばれ
    次々と別室に。一室での出来事を事細かに質問される。当時は、まだまだ真面目でウブでし
    たからこりゃ大事だわいと神妙に答えていた私。ですが、後になってみれば首になるとかど
    うとかそんなことはまったくないことがわかってきた。逆に、取り調べる学校長はどんなに
    楽しいひとときであったか、を理解するにいたって私たちはなんという愉しみを彼に与えた
    もうたのだろうかと考えるに至る。なんてね。当時の学校長は50代、私たちは25,6才。まる
    で赤子の手をひねるようで、ここを先途に内心ニヤニヤしながらあれこれほじくりまわす学
    校長の心はいかばかりか。
     言って見れば「いいおもちゃ」です。その後ずいぶん時が経ってから「あれは面白かった
    ぞ」と言われてずいぶん酒の肴になったもんだけど、今にして思えばまさにその通りだった
    ろうと得心がゆきます。この学校長は、そんなことも面白がる気質の持ち主だけど、わから
    ないことにはちゃんと答えてくれたし、指導者としての資質も充分持ち合わせていました。
    なにかの話しで東京デザイナー学院じゃなく「東京風俗学院」なんてのもいいかもしれない
    という私の冗談にも乗ってくれて、授業内容なんかもあれこれ品下がる話しで盛り上がった
    ことも忘れられません。教室を区割りしてお風呂を付けてソープから女性教師を引き抜いて
    我々も指導されたり指導したり。年相応の教養もあり、仕事について叱責もするけど、真面
    目一点張りでもなく、ユーモアも理解し下ネタにも付き合える心が素晴らしい方でした。
     あぁ、私はそんな恩師の足元にも近づけているんだろうか。せめて膝くらいには並べてい
    るんだろうか。広くて高い視点で物事を見れるようになったのだろうか。学生のアイデアを
    否定したり自分の考えを押し付けたりしていないだろうか。教養の巾は狭まっていないだろ
    うか。少ない教養とはいえそれが作品や私の人格の下支えになっているのだろうか。ユーモ
    アを理解し反応のスピードは衰えていないだろうか・・・・・・・・・・・・・・。
     つまりは仰ぎ見る恩師の弟子として恥ずかしくない存在になっていれてのだろうか。
    いつもその事が気になっている・・・・・・・・・・・・・店主なのです。

    コメント
    ウッドクラフトの本番イギリスでは職人の腕を測る(見抜く)のに、先ず指が10本残っていること、次に作業台を見るんだそうです。不安定な作業台はダメ。そういえば日本の職人も30~40年くらい前までは座って使う床に置いた重くて分厚い作業台(板)を持っていたと聞きました。
    • 職人のタマ
    • 2013/01/14 6:13 AM
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