最良の仕事か?
昨日のブログで「最良の仕事」と謳っておきながら、どこにもないではないか?
と、書き終わった後に気が付いた。誰かと話している最中、何を話そうとしてたか
忘れ「あれ?」ってことがよくあるのとおんなじ。あらかじめ書くことを考えては
いるんだけど、書いてる途中で手が止まらなくなり暴走。どうも頭と手足の連携が
うまく行かないのだろう。これも寄る年波のせい、と言ったら「寄る年波」が怒り
だす。バカにすんな、そりゃアンタの元々の部品欠陥なせいだわい。
さてと、最良の仕事だ。お仕事は?と問われるコトがはなはだ苦手なアタイ、昨日も
八百屋さんで女将さんから「この方はね」などと居合わせたお客さんに紹介されそうに
なって目が上げられなかった。どうもアタイのことをアーチストのようなもんと
勘違いされてるようなのだ。たまに出掛ける時に妙な服装で八百屋の前を通りかかる
からさ、その印象が強いんだろう。まさかアーチストってことはない、デザイナーって
称するのもこちょばゆい。それらしいことをやってる実感がないからね。でも、この
外壁はなんと言えばいいのだろうか? 単なる工事業者ではない。レストラン店主・
O崎さんの意向を聞き、あれこれ材料を探し、白板にペンキを振り掛けたりして、
それをなんとかうまく並べるなんてこと、業種で言えばなんなんだろうか?
そんな仕事をひとくくりにしてデザイナーと言えば聞いた相手は理解するだろうから、
問題はないんだけど。ま、なんと呼ばれようとアタイはアタイだからいいんだけどね。
今回の外壁工事のスコブル以前、この店用に木皿を作ったんだ。
料理に隠れてよく見えない。けど、それでいい。隠れた存在が好きなの。この木皿
O崎さんの要請でサンプルを作り、どれもダメで再度作り、の結果出来上がったのよ。
「前菜盛り合わせ」というメニューなんだけど、これがまったくもって大好評でさ。
来る人来る人ほとんどコレをリクエストする。けっこうなボリュームもあるから、
これだけでお酒のつまみには充分、ヘタすると女性なんかはこれだけでお腹いっぱい
になる、ときもある。陶器の白い皿でもいいんだけど、こっちのほうが断然イイ。
レストランだから他店にない個性的なメニューがあるほうがいいに決まってる。
そこでしか食べられないんなら行くしかないからさ。前菜盛り合わせを見て食べて
◎であれば、飲み物だって食べ物だってどんどん注文するだろう。まさに、この店の
第一印象を決定するに充分の器なの。デザイナー(一応ですけど)としてこれほど
ウレシイことはない。作った本人(アタイだ)も満足、頼んだO崎さんも満足、
でもってお客さんも満足し、売り上げにも貢献する、これが最良の仕事と言わずして
なにが最良なんだろう。そして、それは金銭の多寡や有名無名とかいったものでは
ない、あくまでもすべての方々にとってプラス効果が生まれたか否かの一点に尽きる。
頼んだ相手の期待を裏切らない成果物はデザイナーとして最低限の仕事、その
成果物が実際の社会の中で経済効果をもたらすものでなけりゃ、仲間内でワイワイ
言ってるだけのもんじゃないか。昔ウォークマン、今i-padでもそういうことでしょ。
技術力とかアイデアセンスとか言ったって、実際の社会で具体的の好反応(お金)
がなけりゃダメ、って思うんだよね。そう考えるとグッドデザインってのは何なの、
ってことになる。その「グッド」は何に対してのグッドなんだろう。単にカッコが
いいとか革新的な技術とか目新しいとかだけじゃイカンのではないか。独りよがりの
アタイだから偏向レンズ着用なのはわかってるけど、そう思えてならない。
とはいえ、この木皿のように三方一両損ならぬ一両得のような仕事はめったに
あるもんじゃない。っていうか、これしかないんだ。まさに、私のデザイナー
(一応だ)人生にとって傑作と呼んでいいだろう。そんな傑作商品が今も生きている
この店の外観だから、ひょっとすると傑作になるかもしれない。私もO崎さんも、
この外壁は気に入っている。気に入っていないのは今の所ビルのオーナーだけ。
もしも、この後、この外観を見て訪れる客が多くなれば、その時点で外壁は◎だと
いうことになる。もしもそうなれば、私の二大傑作がこの店に集結することになり、
私が生きて仕事をし続けた甲斐があろうってもんじゃないか。まことにウレスイ
限り、喜ばしいことでござるワケだ。
で、調子に乗ってクリスマスツリーを作ってる。すでに12月に入ってるから
急がねばならない。っていうか既に遅きに失してるかもしれないけど。
頼まれもしないツリーを作ってるアタイは一体なんなんだ?
と思わないでもないけど・・・・・・・・・・な、店主でした。
と、書き終わった後に気が付いた。誰かと話している最中、何を話そうとしてたか
忘れ「あれ?」ってことがよくあるのとおんなじ。あらかじめ書くことを考えては
いるんだけど、書いてる途中で手が止まらなくなり暴走。どうも頭と手足の連携が
うまく行かないのだろう。これも寄る年波のせい、と言ったら「寄る年波」が怒り
だす。バカにすんな、そりゃアンタの元々の部品欠陥なせいだわい。
さてと、最良の仕事だ。お仕事は?と問われるコトがはなはだ苦手なアタイ、昨日も
八百屋さんで女将さんから「この方はね」などと居合わせたお客さんに紹介されそうに
なって目が上げられなかった。どうもアタイのことをアーチストのようなもんと
勘違いされてるようなのだ。たまに出掛ける時に妙な服装で八百屋の前を通りかかる
からさ、その印象が強いんだろう。まさかアーチストってことはない、デザイナーって
称するのもこちょばゆい。それらしいことをやってる実感がないからね。でも、この
外壁はなんと言えばいいのだろうか? 単なる工事業者ではない。レストラン店主・
O崎さんの意向を聞き、あれこれ材料を探し、白板にペンキを振り掛けたりして、
それをなんとかうまく並べるなんてこと、業種で言えばなんなんだろうか?
そんな仕事をひとくくりにしてデザイナーと言えば聞いた相手は理解するだろうから、
問題はないんだけど。ま、なんと呼ばれようとアタイはアタイだからいいんだけどね。
今回の外壁工事のスコブル以前、この店用に木皿を作ったんだ。
料理に隠れてよく見えない。けど、それでいい。隠れた存在が好きなの。この木皿
O崎さんの要請でサンプルを作り、どれもダメで再度作り、の結果出来上がったのよ。
「前菜盛り合わせ」というメニューなんだけど、これがまったくもって大好評でさ。
来る人来る人ほとんどコレをリクエストする。けっこうなボリュームもあるから、
これだけでお酒のつまみには充分、ヘタすると女性なんかはこれだけでお腹いっぱい
になる、ときもある。陶器の白い皿でもいいんだけど、こっちのほうが断然イイ。
レストランだから他店にない個性的なメニューがあるほうがいいに決まってる。
そこでしか食べられないんなら行くしかないからさ。前菜盛り合わせを見て食べて
◎であれば、飲み物だって食べ物だってどんどん注文するだろう。まさに、この店の
第一印象を決定するに充分の器なの。デザイナー(一応ですけど)としてこれほど
ウレシイことはない。作った本人(アタイだ)も満足、頼んだO崎さんも満足、
でもってお客さんも満足し、売り上げにも貢献する、これが最良の仕事と言わずして
なにが最良なんだろう。そして、それは金銭の多寡や有名無名とかいったものでは
ない、あくまでもすべての方々にとってプラス効果が生まれたか否かの一点に尽きる。
頼んだ相手の期待を裏切らない成果物はデザイナーとして最低限の仕事、その
成果物が実際の社会の中で経済効果をもたらすものでなけりゃ、仲間内でワイワイ
言ってるだけのもんじゃないか。昔ウォークマン、今i-padでもそういうことでしょ。
技術力とかアイデアセンスとか言ったって、実際の社会で具体的の好反応(お金)
がなけりゃダメ、って思うんだよね。そう考えるとグッドデザインってのは何なの、
ってことになる。その「グッド」は何に対してのグッドなんだろう。単にカッコが
いいとか革新的な技術とか目新しいとかだけじゃイカンのではないか。独りよがりの
アタイだから偏向レンズ着用なのはわかってるけど、そう思えてならない。
とはいえ、この木皿のように三方一両損ならぬ一両得のような仕事はめったに
あるもんじゃない。っていうか、これしかないんだ。まさに、私のデザイナー
(一応だ)人生にとって傑作と呼んでいいだろう。そんな傑作商品が今も生きている
この店の外観だから、ひょっとすると傑作になるかもしれない。私もO崎さんも、
この外壁は気に入っている。気に入っていないのは今の所ビルのオーナーだけ。
もしも、この後、この外観を見て訪れる客が多くなれば、その時点で外壁は◎だと
いうことになる。もしもそうなれば、私の二大傑作がこの店に集結することになり、
私が生きて仕事をし続けた甲斐があろうってもんじゃないか。まことにウレスイ
限り、喜ばしいことでござるワケだ。
で、調子に乗ってクリスマスツリーを作ってる。すでに12月に入ってるから
急がねばならない。っていうか既に遅きに失してるかもしれないけど。
頼まれもしないツリーを作ってるアタイは一体なんなんだ?
と思わないでもないけど・・・・・・・・・・な、店主でした。
- 2014.12.03 Wednesday
- Baranchetta
- 11:47
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- by factio