最高の助監督

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     一週間の入院中、外出まかりならぬ、昼間のTV番組は耐えられない、

    となると読書しかない。休憩室の書棚、小林信彦めっけ、読んだ本だけど

    背に腹は変えられない。その中に日本一の助監督の一文。

     

     黒澤明のお墨付きの助監督とは野村芳太郎だ。誰かの推薦で判断するのは

    好きじゃないけど、黒澤明となれば話は別だ。そのことが橋本忍の「複眼の

    映像」に書いてあると。しかもページ指定まで。そうなりゃ読むっきゃない。

    退院してすぐに図書館で借り出す。その部分を抜粋してみた。

     

     ある日、野村さんと一緒に銀座のヤマハホールで、スピルバーグの

    『ジョーズ』の試写を見、終わると近くの喫茶店でコーヒーを飲んだ。

    だが二人とも暫くはなにもいわない。やがて私が

    「出来のいい映画ですね」

     野村さんは大きく頷いた。

    「全部OKカットで繋いでいます」

     私は黙って頷いた。その通りである。

     

     映画を見る場合の私は、ごくありふれたファンの一人にすぎない。

    だがどこかに職業意識があるせいか、画面には時折NGカットも見受けられ、

    一本全部がOKカットで繋がっている作品は滅多にない。俳優さんの限界、

    予算の限界、時間の制約などで、元来ならNGカットだが、止むを得ず

    OKにせざるを得ないものがどうしても入りこんでくるのだ。

     だがジョーズの場合、私にはNGカットが見受けられない。例えば桟橋が

    鮫に引っ張られ水中に消えてしまう印象的なシーンがあるが、これらは

    一発OKでなく、五回も六回も桟橋を作り直し、スピードを変えて行われ、

    その中からこれがOKといえるカットを選んで使っているのだ。

    「本当に頭からおしまいまで全部OKカットですよね」

    「橋本さん・・・・これからスピルバーグの映画はもう見ることはないですよ」

    「え?」

     野村さんは少し上目で私を見た。眼鏡の奥の目がキラッと光る。底意地の

    悪い、少し冷酷な顔付きでもある。

    「映画の監督を一生やったって、そんなのは一本できるかどうかですよ。

    だから彼には、この『ジョーズ』が最高で・・・・これから先はなにを

    撮ってもこれ以上のものはもう出来ませんからね」

     

     ジョーズは見ているけどそんな視点で見てはいない。こちとら素人だから

    当たり前だ。そもそもOKとNGの違いってなんなのさ。どこで分かるのそれが。

    橋本忍と野村芳太郎はわかったんだよな。違いを見分ける視点がものすごく

    気にはなるけど、それ以上踏み込めないアタイの限界、すぐ気がついた。

    残念だけど仕方ない。なんたって経験もなきゃ知識もないからさ。とはいえ

    ここで諦めたんじゃ素人の名がすたる、再見のためにアマゾンで注文。

    とにかく桟橋のシーンを見直さねばならん。

     

     だから、つい、私はこんな言葉を漏らしてしまったのだ。

    「じゃ、黒澤さんにとって、私・・・橋本忍って、いったいなんだったん

    でしょう?」

     野村さんの眼鏡の奥の目が光り、眉がピクッと動いた。私は瞬間に

    背筋を冷たいものが走った。なにかいってはいけない、とんでもない

    ことを口にした予感である。

    「黒澤さんにとって、橋本忍は会ってはいけない男だったんです」

    「え?」

    「そんな男に会い、『羅生門』なんて映画を撮り、外国でそれが戦後

    初めての賞などを取ったりしたから・・・・・映画にとって無縁な、

    思想とか哲学、社会性まで作品に持ち込むことになり、どれもこれも

    妙に構え、重い、しんどいものになってしまったんです」

     私は神経を逆撫でされた感じでムッとした。自分の口から出た

    不用意な言葉に悔いてはいたが、野村さんのいい方はあまりにも

    一方的な強弁のような気がしないでもない。私もつい前後を見失い、

    感情的になった。

    「しかし、野村さん、それじゃ黒澤さんのレパートリーから『羅生門』、

    『生きる』、『七人の侍』が?」

    「それらはないほうがよかったんです」

    「え!?」

     私は思わず声を上げた。

    「それらがなくても、黒澤さんは世界の黒澤に・・・・現在のような

    虚名に近い クロサワでなく、もっとリアルで現実的な巨匠の黒澤明に

    なっています」

     野村さんが伏せ目で私を見た。眼鏡越しの上目がキラッと光り少し

    冷酷で辛辣な意地の悪い顔になる。私は戦慄した。この顔には見覚えが

    ・・・・・・・以前にスピルバーグの映画はもう見るべきではないと

    予言した、あの時の野村さんの顔だった。

    「僕は黒澤さんに二本ついたから、どれほどの演出力・・・・・

    つまり、力があるかを知っています。彼の映像感覚は世界的なレベルを

    超えており、その上、自己の作品をさらに飛躍させる、際限もなく

    強いエネルギッシュなものに溢れている。だから夾雑物・・・・・

    いいですか、よけいな夾雑物がなく、純粋に・・・・・純粋にですよ、

    映画の面白さのみを追求してゆけば、彼はビリー・ワイルダーに

    ウィリアム・ワイラーを足し、二で割ったような監督になったはずです」

     私は黙り込んだままだった。

     

    「ビリー・ワイルダーよりも巧く、大作にはワイラーよりも足腰が

    強靭で絵が鋭く切れる。その監督がどんな映画を作るか・・・・・

    橋本さんにも分かるはずです。きっと面白いものを数々作り、世界中の

    映画ファンや、我々をゾクゾクさせたり、ワクワクさせたり、心の

    底から楽しませ・・・・・・文字通り、掛け値なしの、世界の映画の

    王様に・・・・・橋本さんはそうは思いませんか?」

     私は目の前がクラクラした。野村さんの言っていることにも一理

    あるが、どこか衒学的であり、肝心な点が間違っている。なにか

    言おうとした。だが言葉が出なかった。

     

     黒澤明の映画に対する視点がブッ飛んでるな。しかも当の脚本家を前に

    してそこまで言うか? 問われたからには言いましょうってことなんだろ

    けど。それにしても七人の侍までもがないほうがイイってか。う〜む。

    分かるようなわからないような。ま、これもアタイの限界のはるか先な

    ことは間違いない。とにかくすごい考え方だ。改めて感心。

     

     となれば野村芳太郎がどんな映画を撮ったのかが気になる。改めて

    見てみよう。手持ちの数本のDVDはいずれ見るとして、まずは未見を

    アマゾンプライムで見てるとこ。今は「しなの川」の真っ最中。どれが

    OKカットかNGカットかも併せて理解できれば・・・・。でも素人だから

    無理だろうな。わかっちゃいるけど・・・・・・。

     

     この本、砂の器の大ヒットがなければ野村さんはいずれ松竹の社長の

    席が用意されてた、とか、黒澤明の影武者や乱のダメさ加減の顛末などが

    書かれていて、興味深いものだ。黒澤監督の後年の作品がさっぱり

    わからなかった私の疑問も解決されてまことにけっこうなことでした。

     

    頭のイイ人っているんだなァ・・・・・・・な、店主でした。

     


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