突然といえば炎だろ

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     「突然炎の如く」そんな映画があったっけ。たしかトリフォーだったな。

     

     過日、突然左耳が聞こえなくなり、数日を経て耳鼻科に。突発性難聴

    との御診断、けっこうな重度だ、すぐに大きな病院に直行せよ、名医ベン・

    ケーシーから指示されて、紹介先の東邦大学病院へ。即入院、一週間の

    点滴治療を経て、今に至る。

     

     片耳だけだと音源の方向性がまるでなくなるんだけど、ステロイドの

    おかげで少しづつ改善されてきたが、耳鳴りは治まらず果たして元通り

    になるかどうかは誰にもわからないときたもんだ。うーむ

     でもね、聴こえが悪くたってまるっきり聴こえないわけでなし、耳鳴り

    にしても慣れればいいだけのこと、命まで取られるわけでなし、静かに

    受け入れるしかない。初めて入れ歯を使った時の異様な不快感と同じでね、

    いつかは慣れるだろうて。

     

     そこで、で、どうする? 確かに難聴はマイナス要因だけど、悪いこと

    ばかりではない。耳鳴りも同じ。音楽を聴くには差し障りはあるけど

    要は耳に神経を集中しなけりゃ気にならない。それには仕事が一番。

    仕事に熱中すれば耳鳴りも気にならないし、仕事もはかどるしな。

    ってことで、このところ木工仕事に精を出しているワケ。

     

     ルーティンワークの茶箱の脚を発送し、自宅で使っている座卓を高脚に

    改造がほぼ出来上がり、それに伴い椅子の高さも低く作り直そうと一脚

    だけ完成。んでもって二脚目を作ってるとこ。これらは画像で見れば

    一目瞭然なれど、入手したデジカメをMACで使う方法がさっぱりでね。

    とりあえずは文字でという次第。

     

     改造作業中に東京新聞の「住まい彩り」の記事を読んだんだ。

     「日本の住宅の天井高は世界的にも低い、さらに靴を脱いで素足で

    暮らす私たちは身体サイズに合った道具を使うべきだ」という考えの

    もと、暮らしの中心となるテーブルの高さは61センチがベストだと

    先達は言い切る。それに合わせる椅子の座面も37センチ前後の高さを

    推奨してる。

     

     我が家は畳の生活だから座卓を使って幾星霜、だんだん座るのが

    ヤバくなり、椅子を使おう、それにはテーブルは高くせにゃならん、

    ついでに娘息子家族が来た時に伸展するようにしたい、普段はカミさん

    と私の二人使いだけど7〜8人まで使えるように。

     その基準となるのがテーブル高61センチ。材木屋さんに製材注文し、

    地下の工房で切ったりネジったりして61センチは完成したけど、椅子が

    高すぎて足が入らないんだ。速攻低い椅子を作り試したけど、具合悪し、

    椅子の脚を切れないから、テーブル高さを1センチ刻みで調整、結局

    63.5センチが一応のベストと判決が下り、一安心祝着至極。

     

    いずれ近いうちに画像お見せできるかも・・・・な、店主でした。

     


    ゴミ屋敷なんだわ

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       ついつい「シンドラーのリスト」を観て、「カジノ」「カリートへの道」を

      観終わり、今更とは思いつつも「サイコ」を観ているとこ。視聴履歴に基づく

      おすすめが次々だからしかたない。音楽は常用者、気が向けば映画、その

      合間にお仕事をという有様だ。こんな生活でいいのか? 思わないではない

      けどさ、格別急かれることもなし、元々飽きるもんならいずれそのうち飽きる

      だろ。

       

       とある数日前、近所から戻ったカミさんが「なんだか大変なゴミが運び

      出されてるわよ」と言うんだ。「?」と思って前の道路に。2tトラックへ

      盛大にゴミ袋テンコ盛りの真っ最中。振り返って二階への階段に目をやれば

      業者が忙しく行き来してる。こりゃきっとアパートの一室がゴミ屋敷化して、

      引っ越すために業者に頼んだんだろと瞬間思ったのよ。面倒だなぁと思いつつ

      聞いたら二階の部屋だと。恐る恐る階段を上がって部屋を覗いたら、案の定

      足の踏み場もなし。

       

       離婚し後、母が営みし下宿業が我が家の生活の糧だった。30年前、遺産

      相続に恐れをなし、借金してアパートを建て、今も相変わらず生活の糧で

      あるんだわさ。おおよそ60年の下宿アパート歴史の中で初めて出来した

      この出来事、一体どうなっているんだ。

       

       部屋の中に二人の男性がいて、私の問いかけに名刺を渡すんだ。てっきり

      区役所の生活保護課の方なのかしらと早合点して、この二人は業者の親方

      なんだろうと思いつつ地下に戻ったワケよ。そういえば住人から、入院

      したから家賃が遅れるみたいな連絡を受けていたよな。帰ってこれないから

      退去するための清掃かと思い込んでしもた。

       

       でもね、名刺を見たら社名はどう考えても清掃業者ではない。ドイツ

      支社があるのも変。ネットで調べてみても清掃業者ではない。住人の

      携帯に電話したら別人28号が出るし。どう考えても変だな、コレ。

      それに区役所だったら大家のワシに必ず事前連絡があるはずだ。鍵は

      どうやって住人から渡されたんだろ? まさに暗雲のように疑惑は

      みるみる空を覆う。

       

       ゆっくり考えてみればこの住人は生活保護を受けている方ではない

      から区役所の出番はない。泥棒か? と思わないでもないが、持ち出す

      のはゴミ袋ばかりだし、こんなものを運び出す酔狂な泥棒はいない。

      中身がゴミならたとえ住人に無断で運び出したところで問題にはならん

      だろ・・・・・・・・・とはいえ気になるな。

       

       その疑問を解くために再度部屋に行く。名刺を渡された男性に、住人

      とはどのような関係ですの・・・・・・・? とやんわりなツッコミ

       

       あぁやっぱり来ましたか、みたいな反応。いえね、こういうワケ

      なんだと物語るのですわ。住人は私たちの卓球サークルの代表でとても

      世話になってるのです、と。区内の卓球関係の幹事もやってるのです、

      と。入院したけれど快方に向かってて、近々戻るために世話になった

      我々がこうして片付けをしているんだと。名刺の肩書きが清掃関係では

      ないことの御不審はごもっとも、とも言うワケ。つまり恩返しってコト

      らしい。

       

       こんな物語を一瞬で考えられるわけがない。嘘の理由にしても念が

      入りすぎてる。携帯についちゃ随分前に番号変わってると。こうして

      いくつかの疑念は一気に晴れたときたもんだ。

       

       そういえば、この住人の方、近所でお見かけすること再々でさ、

      時にはタバコを吸いながら立ち話なぞをなさってることもある。

      けっこう友達も多く、顔広いのネと思っていたの。アパートの住人が

      近所で立ち話なんかする人はめったにいないもん。

       

       こうしてことの顛末は終わりを告げた。それにしても思うことは、

      世話になってる方の恩返しなんて〜ものが、いまの世知辛い世の中に

      存在してるんだってこと。アパートという狭くて小さな世界ですが、

      社会の最前線とも言える。こんなとこで恩返しを見れるなんて、

      捨てたもんじゃありませんぜ、ったく。

       

      しかし未だに信じがたい。あれは幻視?・・・・な、店主でした。

       


      噂の真相

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         筒井康隆氏の日記で「『噂の真相』岡留安則を賑やかに送る会」が30日に

        催されたことを知る。休刊以後、沖縄から時折ブログで発信していたけど、

        いつしかそれもなくなり、酒場の店主をされていたこと、亡くなったこと、

        感慨に耽るアタイ。

         

         長きにわたり噂の真相はアタイはもとより家族の愛読雑誌であった。

        何かで知り読み始めた創刊号、以来最終号まで途切れることのない愛読者

        だったんだ。町内にあった本屋に頼んでおいたから我が家の郵便受けに

        届けられ、それを心待ちにするステキな25年間だった。硬軟取り混ぜた

        記事、まるでごった煮のようで一冊丸ごと隅々まで楽しめた。毎月欠かさず

        読んだんだから、かなりの影響を受けてるに違いない。

         

         感謝の意を表して思いつくまま極私的ベスト5を書いてみる。

         

         第一位:昭和天皇崩御に関する一連の記事

         天皇は神様だから、新天皇に代替えするにはそれなりの儀式が存在する。

        二つの床を並べて、片方に崩御された旧天皇、もう片方に新天皇が一夜を

        共にする。意識の交換かはたまた魂の置換か、ありそうだな、それ。体液

        だって保存してるに決まってる。さらに記事は続き、天皇に嫁ぐ花嫁が

        初夜の前、入浴時に「自分でカラダを洗えない」ことに仰け反った。

        うら若き乙女が女官によってカラダをくまなく洗われる。万一カミソリ

        かなんかを隠し持って刃傷沙汰になったら大変だもんな。洗いながらの

        身体検査は当然のごとく秘部にも及ぶことだろう。

         

         第二位:森前首相の手形事件

         森首相が在任中、若き日に買春容疑で逮捕されたことがあったと

        メディアに流れた。本人が否定する中、当時の指紋が流出して大騒ぎ。

        ぜひとも本人の指紋と照合せねばならない、それなら手形だろうと、

        早速誌上で公開公募、読者から提供された手形が公開されて、見事一致。

        確か、逮捕時の指紋流出も読者からのもんだったと記憶する。

         

         第三位:ジャイアント馬場の男色趣味

         プロレスラーにはホモが多いことを知って驚いた。それまで芸能界の

        ホモや男女相関図(むろん実名だ)でおおよそ知ってはいたけど、

        ジャイアント馬場は別格だ。まさに意表を突かれた感じ。彼が率いる

        全日本プロレスの面々、ジャンボ鶴田然り、鉄条網の大仁田然り。

        おいおいマジかよ、みたいな。

         これに比べたらジャニー喜多川がジャニーズや少年隊のメンバーを

        愛でることなんか小さい小さい。

         

         第4四位:吉行和子の質問

         田中康夫氏の「東京ペログリ日記」。包み隠さず開けっぴろげという

        方針のもと、1日で数人の女性と関係を持つことが再々でね。そのことに

        誌上で質問したのが吉行和子氏。その関係とはどこまでのものなの?  と。

        ご心配には及びません、先っぽだけじゃなくちゃんと挿入してます、

        答える田中氏。私も多くの読者も考えていただろう疑問を素直に問う

        吉行氏にいたく感心したもんだ。

         

         第五位:筒井康隆氏の食べ歩き番組についての考察

         コラム「笑犬樓よりの眺望」1988年10月のこと。今じゃ当たり前、

        どこの局でもやっている食べ歩き番組だけど、これをSEXやり歩き番組

        に置き換えた秀逸な一文。

         人前で大口開けてぐちゃぐちゃ食べることなんかはしたない、なんて

        ことは誰も口にしない時代になっちまった。そもそも食べることそのもの

        が恥ずかしいと谷啓は言ってた。そんなこたァどうでもいい、アッシにゃ

        関わりのないことでござんす、が、すっかり当たり前のご時世だ。

         

         人間の二大欲望が食欲と性欲であり、隠す美学が忘れ去られ、なんでも

        大っぴらでいいじゃないか、とはいえSEXは憚られる、ならば食欲をと、

        SEXの代替えとして盛大に公開されている、というのが主旨。

         僻遠性、因由性、無比性、秘蔵性の4つに大別された内容は、そのまま

        SEXに置き換えられる。うーむ。これを読んでからというもの、まともに

        食べ歩き番組を見れなくなっちまった。リポーターが男性なら日本全国

        各地の女体をやり歩く、女性なら男というわけだ。想像するだに恐ろしい。

        SEXしながらの実況中継だもんな。

         

         

         こうして並べてみると、己の心智が透かして見えるな。検察や警察、

        政治についても数多の記事があったけど、アタイの心に残ってるのは

        このようなものだからさ。こんなことに心惹かれて生きてきたって

        いうワケだ。

         

         創刊時から休刊まで、休刊以後の噂の真相にまつわる数々の本はすべて

        手元にある。と言いたいけど、残念ながら創刊からの数年間分はカミさん

        の友人が出産するときにヒマなときに読んでとあげてしまった。残るのは

        約20年分幅およそ1.5m。はて、コレどうしよう?誰か欲しい人いない?

        タダであげちゃうけどな。

         

        誰もいなけりゃ、また読み返してみる?・・・・・・な、店主でした。

         


        子供の時間

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           地下の閉じこもりの日々、これじゃまるで将棋で言う穴熊だな。

           

           今朝、孫が勤しんでる野球部の試合があるよ、娘から☎。歩くこと数分の

          多摩川の河川敷。試合開始は午前十時開始なれど、昨晩の風呂を沸かし直し

          朝風呂を堪能、しかる後コンビニで珈琲サンドイッチを購い、徒歩で野球場。

           

           お〜やっとるやっとる。応援がすごいな、こんな遠くまで聞こえる。

          久しぶりの多摩川河川敷、桜はまだまだだけど、上天気で気持ちは◎。

          この球場は日体荏原高校のもの、土手に学生にどっちが勝ってる? 10対2

          です、東京高校が勝ってるの?、そうです、ダメじゃん荏原、いえ相手は

          大泉高校です、こりゃまた失礼。考えてみれば強豪日体荏原に8点差がつく

          わけない。

           

           土手を降りてまずはバックネット脇で観戦する。応援がスゴイ。東京高校

          のね。なんたって高校は歩いてこれる距離にあるから、母父も学生もわんさか。

          メガホン叩いて大声の大応援団。隣の母親らしき方がジャンプしてる。それが

          面白すぎて横目が離せない。釘付けだ。わかりまっせ、その気持ち。孫は試合

          に出ていないけど、関係者としちゃ踊りたくもなろうってもんだからな。

           

           一塁側のネットにズラリ並んだ野球部員、女性マネージャー3人、母父、

          アタイのような祖母祖父。野球部員、女性マネージャー3人が次々とアカペラ

          声援に感心する。どうやら状況に応じて様々な曲があるらしく、誰かの音頭で

          声を限りに怒声が続くときたもんだ。

           

           つくづくいぃ〜もんだなココロ。甲子園に出れる可能性は極小なれど、今

          この時に熱中できることがある。それはいささかかなり羨ましい。なにね、

          昨日アタイの後任となる卒業生が来て、授業のことについて相談されたの。

          デザイン学校に入学した学生はどう考えているのかわからないけど、学校側

          としてはとにかく就職率アップが大命題でね。それが新入生増員の決め手と

          あればそれはそれでわかるけどさ、将来のことは誰もわからない、いまの

          この時を楽しむことを忘れちゃいけませんぜ。それが生きてるってこと

          だからさ。違うか?

           

           甲子園に出場できるかどうかわからない高校生がいて、就職できるか

          どうかわからない専門学校生がいる。片っぽは熱気充満な青春を謳歌してる

          ように見える、しかしデザイン学校じゃ、作品について相談することもなく、

          良かれと思うアドバイスにも虚ろな反応、自分のアイデアを作るだけの

          孤独な世界、熱気は乏しくて活気は一体どこに置いて来たの? スポーツと

          木工製作とじゃ異なる世界だからと言われるかもしれないけど、この違いは

          何故なんだろう。そんな思いでしばし佇む。

           

           ま、どっちにしても辞めたんだからどうでもいいんだけど。ついつい。

           

           こうして過ぎて行く日々、ふと感じるのは時間の流れが遅くなったように

          感じることだ。小学生の時、母の実家で一夏を過ごした。毎日自転車で

          小一時間の川に行き、夕方まで泳いだり遊んだり。なんであの頃は時間が

          ゆっくり過ぎたんだろう? 不思議でならない。折に触れそんな思いを

          抱いていたんだわさ。でも、齢70になった昨今、地下で木工をし、音楽を

          聴き、時には映画を見て、寝る前には本を読む、そんな生活をしていると

          なんてゆったりと時は流れるんだろう。時間の流れは心の感じ方次第で

          早くもなるし遅くもなる、そんな当たり前なことを再確認させられる。

           

           肉体の衰えとともにSEXの嗜好は一気に凋落し、SEXと疎遠になること

          と入れ違いにまったく別の快楽にも似た扉が開かれる。心の中にスルリと

          何かが入り込んできた。う〜む。人間は完成することはなく、死ぬこと

          すら終わりではない、日々新しいことが出来するとか。なるほどね、

          言えてるなソレ。それが実感できるよろこび。

           

           なかなか、いいもんでっせ T野井さんよ。

           

          相変わらずAccu Radio聴きながら・・・・・・な、店主でした。

           


          国宝の棚?

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             姪の結婚式で京都へ。せっかくだから奈良にも行ってみんべえ。近鉄線だ。

            京都と違って奈良の史跡は広範囲なんでレンタカーを借りにゃならん、愛用の

            ニッポンレンタカー は近鉄奈良駅にしかないんだ。奮発してアウディを借り

            いざ出陣の意気込みなれどナビの使い方がわからない? なんてこったい!

            一時はどうせようかと思ったけど、弄ることしばし、使い方がわかりオレって

            なかなかやるじゃんと自画自賛。齢70にしてこの対応力にね。

             

             とりあえず法華寺、友人に教えられた平宗で柿の葉寿司で昼食、後近くの

            元興寺へ。両寺とも聞いたことはないが良いんだ、これがさ。フツーの町並み

            に突如現れる感じの古寺、中に入れば壮大な広さ、建物の木の色が違うのに

            圧倒されるときたもんだ。京都と比べどれくらい古いのかわかんないけど

            灰色がかった柱や梁はまさに古色蒼然、言葉通り。

             

             で、元興寺だ。本堂に入りぐるっと一回りして、ふと目についた縁側に

            出たのよ。そしたら庇の下にチョコなんとな棚があるじゃんか。

             これなんだけどね。妙だなと思ってさ見てみたら

             中はこんなふうになっとるんだわさ。中央の板に赤字で「国宝」とある。

            げ、ゲゲゲ、国宝ですかい! 棚が!! 単なる棚でっせ。ちょうど縁側の

            下で植木いじりしている方に聞いたら、当たり前のように「そうですよ」と。

            京都と違って古いものなら任せときみたいな感じで解説してくれる。う〜む。

            信じられない、ウソではないだろうけど、なんたって棚だからさ、イマイチ

            信じられないのですわ。

             

             あれはマジでのことなのか、調べてみたらホントらしい。いや実際ホント

            なんだけどネ。

             閼伽棚(あかだな)は、鎌倉時代に造られ、本堂に付随し国宝に

            指定されています。閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養

            される水のことで、サンスクリット語の「argha(アルガ)」の音写

            であり、功徳水(くどくすい)と訳されます。閼伽を供える棚を

            「閼伽棚」と呼びます。ラテン語の「aqua(水)」の語源との説も

            あります。元興寺の閼伽棚は、本堂外側の北西にあります。棚を見ると、

            薬缶などの水関連の容器が幾つか置かれていました。

            http://takaoka.zening.info/Nara/Nara/Gangoji_Temple/Akatana.htm

             

             しかしそれにしてもだ、庇の下とはいえ屋根がついてるとはいえ雨ざらし

            状態の国宝ってのはいかにも奈良らしい。おっとりしてるというかこんなの

            に驚いてちゃ奈良じゃ暮らせないよみたいな感じが横溢しててウレシいな。

            こちとら古さも古いけど京都みたいになんでも商売にしないからさ。そんな

            セコイことしないってなココロがすごいなぁ〜。そう思うのはアタイだけ?

             

             棚だけじゃないんだけど元興寺を後にしてタバコが吸いたいどっか喫茶店

            はないものか、歩き始めて数分、女性二人が軽トラに分厚い板を今まさに

            載っけようとしている場面に遭遇。幅2尺長さ6尺厚さ二寸はあるな、すでに

            荷台にはあれこれ満載でさ、さらにその上に分厚い杉材を載せようなんて

            無謀すぎまっせ。それじゃダメ、こっちへ移動しなくちゃ、なんてこと

            言いつつ助っ人なアタイ、ダンボールを敷いてズリズリ動かし、荷台後方へ、

            斜めにしてアタイと女性で手をかけてグゥ〜と持ち上げつつ、水平にして

            前方にズズ〜と。

             

             小雨そぼ降る中、シートを掛けて、ロープで縛る。軽く締めたんじゃ

            落ちるから、ここは一番玉掛けでグィーっと締めたら、どんな商売なの?

            何やってらっしゃる方? まさかあっちのお仕事? やっぱな、言われると

            思ったんだ、なんたってアニエスの黒ジャケット着てたからさ、服と玉掛け

            のギャップに驚いたんだろ。聞けば喫茶店を営んでて、この板は親戚の

            仕事の吉野杉、イベント会場まで運ぶんだと。とりあえずこれでOKとなり

            帰ろうとしたらコーヒー豆を渡されて「うちのコーヒーはエチオピア産」

            とか言われちまった。

             

             翌日は室生寺まで行って700段とかの奥の院までゼーゼー言いながら

            登ったけどさ、分厚い杉板に比べりゃエモーショナルは段違い、国宝棚も

            すごいと思ったけど、白眉はやっぱ吉野杉に軍配が上がる。そのご褒美

            ってわけでもないだろうに、ほどなくして喫煙可の喫茶店で美味しい

            コーヒにありつけましたわい。

             

            エエデエエデの奈良ではありました・・・・・・な、店主でした。

             


            小吉の女房

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               「小吉の女房」を観ている。NHKのドラマだ。女房役は沢口靖子。相も

              変わらず演技は上手いとは言えない。私感だけど。コメディエンヌとしての

              資質は納得するけど、セリフは硬いっていうか抑揚がないっていうか。

              つまりはプロな演技とはほど遠い感じ。私感だけど。ここで思い出される

              のは田中絹代、彼女も決して上手な役者ではなかった気がする。私感だけど。

               

               それはともかく見続けているのは構成がしっかりしているから。構成って

              言葉が適切かどうかわからないけどさ。小さな江戸の風習がそこかしこに

              出てきて感心させられます。きっと確かな時代考証がなされているんだろ。

              そりゃTVだからセットのリアル感や川の水が流れていない(単なる水たまり

              に見える)ことなど往時の時代劇から見れば物足りないことは多いけど、

              映画本編ではないTVならば仕方のないことと理解は十分だ。もちろん

              台本もいいことは言うまでもない。

               

               で、沢口靖子。決して上手くはない沢口靖子、なぜにTVではあるけど

              かくも出演し続けているんだろう?  確かに美形だけど、美形な女優は

              いくらでもいるんじゃないかしら。あまりTVを観る機会はない私だけど、

              なんだかいつもどっかに出演してる気がする。どうしてなの? そして

              色恋沙汰が全くないのも不思議。デビュー時、堤某と極めて親密な関係に

              あったと噂にはなった。今だって付き合う男の一人や二人はいるはずだけど、

              ぜんぜん表立って来ないのはなぜなんだろう?

               

               相当な大物がバックについてるのか。でも今どき芸能界でそんな大物

              っているんだろうか? 雑誌「噂の真相」が健在だったらきっと記事に

              してくれるんだろうけど。

               

               三國連太郎が、最も尊敬するのは田中絹代だと何かで聞いたことが

              ある。決して上手くはないけど、役に打ち込む真剣味が凄いみたいなこと

              言ってた。「異母兄弟」で三國さんが灰皿を畳に投げつけるシーンで少し

              離れて座る妻役の田中絹代に「思いっきり叩きつけますけど、いいですか?」

              と聞いたら顔色一つ変えずに「どうぞ」と。畳に投げつけられた灰皿が

              どこに飛んでゆくかもわからない、ひょっとして顔に当たるかもしれない、

              でもそんなこと気にしてられない、役者っていうのはそんなもんでしょ、

              その気構えに圧倒されたと。

               

               私には、沢口靖子を見ると田中絹代を思わざるを得ないのですわ。

              決して上手な役者ではないけど与えられた役に没頭し真剣に向き合う人

              なんじゃないかと。ヒッチコックはアクターズスタジオ出身のポール・

              ニューマンの演技を快く思っていなかったのは有名な話だけど、最近の

              ハリウッド映画を観てると型にはまった演技や演出だらけ、いささか

              うんざりなアタイ。それと同じように三國連太郎もある種、型にはまった

              上手い演技を嫌ったのだろうか。上手い下手ではなく、役者がひたむきに

              役に打ち込むことを良しと考えていたんだろうか。きっとそうなんだろ。

               

               そんな三國さんを今村昌平は「ときどきおカマになる」と言ってた。

              おカマっていうのは上手く演じようとする役者のいやらしさのことだと

              私は理解する。作り物ではなく、もっと自然にできないのかってこと

              なんでしょう。そんな目でヒッチコックの映画を観ると、役者の演技は

              とても自然で見栄を切ったりウケを狙った感じがほとんどない。

              それでも人物の心境や心の変化がとてもよくわかる。物語は滑らかに

              進む。なぜだかとっても不思議。

               

               ひょっとすると沢口靖子が出続けている理由は素人臭さにあるのかな。

              プロの役者にありがちな台詞回しや所作に慣れることもなくいつまで

              たっても素人っぽく役に対して自分なりに考え工夫しているんだろうか。

              それがプロデューサーの目にとまり監督に愛される理由な気がします。

              馴れ合うことなく、与えられた仕事をいつも初心で一から作ることしか

              できない。たとえ下手でも、私はその姿勢に賛同するのでアリマスる。

               

              でもって次回はヘンデルか・・・・・・・・・な、店主でした。

               


              珠玉は足元にあり

              0

                 数日前、旋盤で削る角材を加工してたら、したたかに右手の手のひらを

                打ちつけてしまい、イタイのなんの。気が緩んでたんだな。油断大敵の格言を

                まざまざと見せつけられたわい。皮はやぶれてテープを張りの応急処置、今日

                になって腫れもひいてきて力も入れられるようになってきて、まんずハァ

                良かったわい。

                 

                 そんなコトが起きるなんて夢にも思わないさらに数日前、ふと思い立って

                知人からいただいたモーツァルト「魔笛」を聴いたんだわ。譲ってもらって

                からずいぶん時間が経った、函入り3枚組LP。聴いてみてアレっ?なんですわ。

                違うな? いつも聴いているCDとは。なんつったらいいのかな。とても自然、

                まるで普段の会話みたい、仰々しく声を張り上げるなんてこともなく、なんか

                町内の演芸会みたいでとても親しみやすい。

                 

                 はて? これは一体?? 

                 

                 あれか? と思い立ってググってみる。昔、五味康祐さんが言うところの

                堕落する前のカラヤンの名盤か? どうもそうらしい。録音は1950年だ。

                有名になって目を瞑って妙な仕草で撮影されるズ〜っと前、フィガロの結婚

                を録音し次いでこの「魔笛」、その後しばらく干される直前、最後の録音。

                2、3のブログを読み、LPの写真を観て「やっぱそうだ!」

                 

                 小3の時に初めてステレオを聴いて以来、数多の曲を楽しんできたけど

                演奏の違いを実感でき得たのはこれが2回目だ。クリストファー・

                ホグウッド率いるエンシェント室内管弦楽団が最初で、2番目がこれ 。

                それも、誰かに言われて聴いてのことじゃなくて、自分で聴いて感じたの

                ですからね。自分で聴いて良さを感じ、調べた結果名盤だったのがわかる。

                この順序が重要で、逆じゃぁどうってことない。先入観の有る無しは

                どんな世界でも大きな問題だもんな。

                 それもあの五味さんが手持ちのLPの中で最上と御宣託されたもんだ。

                そりゃ地下で一人天狗になってもよかろうやないですか。ねぇ。

                 

                 方々のブログから抜粋させていただきましょう。

                「カラヤンの1950年モノ盤のウィーン・スターツ・オペラのキャストは、

                これまでの録音で比肩するものがない。Irmgard SeefriedとAnton

                Dermotaはどちらも輝くばかりの美しさと、偉大な性格描写をもって

                歌っている。Wilma Lippの夜の女王には感嘆させられるし、Erich Kunzの

                パパゲーノは、人から人へ笑いを伝染させる歌いぶりだ。そしてLudwig

                Weberのザラストロは、賞賛に値する。会話は収録されていないが、それを

                差し引いても素晴らしいモーツァルトの饗宴である。モノ・サウンドはなお

                驚くほどヴィヴィッドで、プレゼンスに溢れている。」

                これが当の五味さんの評価

                 

                「二つの全曲盤は、単に録音史的意義から言って重要なのではなく、

                モーツァルトの魂が最も麗しい姿、色調で歌い上げられた例として大きな

                価値を持つものです。」

                 

                『魔笛』はもちろん『フィガロ』のような爛々と華やいだ音楽では無いですが、

                朗読とレチタティーヴォを省いた当盤で聴くと、麗しい歌曲のオンパレードの

                ようで大層興趣をそそられます。カラヤン以下、端役の歌手までが輪になって

                モーツァルトの美を共有し、水の滴るような清々しい音楽を奏でる。そこには

                天国と俗世の狭間に咲いた花のような馨りが漂います。

                 ウィーン・フィルハーモニーはもとより、各歌い手もモーツァルトの芝居を

                普段着で楽しんでいる様子が伝わって来ますが、1960年代以降の演奏一般に

                この雰囲気が希薄になるのは残念なことです。モーツァルトに挑戦的になったり、

                理論で武装したりしては、たちまちその純粋な生命は損なわれる。当盤の

                メリットの一つとしては、夜の女王の最高の歌い手であったヴィルマ・リップの

                2つのアリアが聴けること。二幕目の方、「復讐の心は地獄のように」では、鬼の

                形相で凄んでみせる歌手が多い中で、彼女はモーツァルトの品位を穢さない

                器楽的な美声で歌いきっています。この名盤の雰囲気を象徴する歌唱の一つでは

                ないかと思います。」

                 と、これは別の方の評価

                 

                 まさにその通りだなぁ。囁くように歌うところもあるし、張り切ったとこは

                なくって、それぞれの役柄がはっきりしていて違いがよくわかる。声を競う

                なんてことはなくってさ、抑揚もあるから、役を演じてるのがよくわかります。

                初めて聴く人には違いがわかりにくいかもしれないけど、異なる録音で聴き

                比べれば誰にでもわかる違いなんだわさ。

                 

                 魔笛といえば「夜の女王」。このLPのヴィルマ・リップを聴いてようやく

                得心がゆきました。なにね、初めてウィーンを訪れた夜に聴いた魔笛で

                夜の女王が日本人らしくてね、声は美しいものの声量のなさに「?」と

                思ったのよ。それまで聴いてたのが朗々と歌うのばっかりだったから、

                なんで?とね。でもリップ嬢は決して朗々じゃない。

                 彼女が「モーツァルトの品位を穢さない器楽的な美声」のであれば、

                その夜日本人が登場したって不思議はない。きっと、仕切っていた方は

                カラヤンを聴いたことがあって、モーツァルトにふさわしい声ということで

                ご指名になったに違いない。そんなあれこれに得心と相成ったワケ。

                 

                モーツァルトの理解が深まり大喜び・・・・・・・な、店主でした。

                 


                モーツァルト丸噛り

                0

                   毎夜、寝付く前のほんのひととき何かを読むのがこのところの儀式でね。

                  面白い本はあるにはあるけど次々っていうワケにもゆかないのが世の常。

                  はて読むものがない・・・・となると困るんだ。全集を3〜4回読んだ

                  藤沢周平はほとんど物語を知ってるけど、再読してもそれなりに楽しめる。

                  が、なんたって新鮮味はない。文章のはしばしにみずみずしいまるでそこに

                  居るような感覚は充分味わえる。とはいえ、なんですわ。

                   

                   そこで思いついたのがモーツァルト事典。けっこう前に神田・古賀書店で

                  購って、買ったはいいがどうしたもんやら、で放置プレイ。事典ですからね、

                  楽曲がズラリと並びそれぞれの解説や詳細な資料たっぷりで読む部分ほんの

                  ちょっぴり。まるで煮込んだブリのアラのようで読むとこ少ない。でも、

                  少ない文章をほじくり返して読んでみるとナルホドと興趣をそそられること

                  多くてさ。とはいえ元々が少ない分量だからすぐ読み終わっちゃったんだ。

                   

                   この興趣をなんとか持続させたい、日々の暮らしの中、仕事の合間に

                  チョイと楽しみたい、とか思ってるアタイ。事典の中でモーツァルトが生涯

                  作曲した全ての曲(現時点でだけれども)がこの一冊にまとめられている。

                  括られているジャンルは9つ

                  1 教会音楽

                  2 劇音楽

                  3 歌曲

                  4 交響曲

                  5 セレナード、ディベルティメント、行進曲、舞曲

                  6 協奏曲

                  7 室内楽曲

                  8 クラヴィーア曲

                  9 編曲、その他

                   

                   『「モーツァルトの交響曲の数」が決めがたい理由は、新発見や、

                  偽作の除外ということの他にもある。「交響曲の範囲」、すなわち

                  「交響曲というジャンルの概念をどう捉えるか」によっても、その数が

                  変わってくるのである。1980年代初めに登場したクリストファー・

                  ホグウッドらによる交響曲全録音は、当時まだ珍しかったオリジナル

                  楽器による響きの新鮮さとともに、70曲にも及ぶその収録曲数に

                  よっても、人々の注目を集めた。』

                   

                   この一文を読んで思わず膝を打った。愛してやまないホグウッドでも

                  あるし、なんたってアタイはこの交響曲全集を持っとるんだ。箱入り

                  3セットのレコード。う〜む、良いとはわかっていたけど、東京書籍の

                  この名著で紹介されているんなら悪かろうはずはない。アタイの耳に

                  狂いはなかった、やっぱりネな気持ちが心地いい。

                   

                   でね、というわけでもないけど雪の土曜日に聞いてみべえとLPを

                  取っ替え引っ替えの今。清冽でキビキビとした演奏に心奪われる。

                  これが当時の演奏と同じかどうか皆目わからないけど、アタイはこれで

                  いいんだわさ。聴きながらおもむろにノートを引っ張り出す。事典の

                  孫引き事典を作ってみようと。つまりこういうこと。

                   

                   モーツァルトのすべての曲を年代順に並べるのが事始め。そして、

                  その年に作曲された曲らを9つのジャンル別に分けてそれぞれの欄別に

                  記入すればモーツァルトの生涯にわたる作曲年代記、全容が理解できる。

                  まぁ、単なる引き写しての並び替えでどうってことないことだけど。

                  でもさ、少しづつできるでしょ、これなら。飽きたら仕事すればいい、

                  映画観ればいい。そんなことして何になるの? 他人様がどう思おうと

                  アタイは日々楽しく充実して生きてゆきたいからね。そのためには

                  これはなかなかナイスなアイデアだと思っているとこ。

                   

                  ってなこと言いつつ、今が過ぎ行く・・・・・な、店主でした。

                   


                  炭火なココロ

                  0

                     東京にも雪が降る、当然のようにあなたは来ないワケだ。わっかるかな?

                    数年前の大雪、アパート3階の雪かきに大汗だったアタイは「頼む来ないで

                    くんろ」、地下で無雪祈願のお籠り。

                     

                     長年講師の専門学校を辞することにして以降、心は離れるばかり。その

                    証左と言うべきか、今週の月曜日、授業があることをすっかり忘れてもうて。

                    授業開始時刻に地下でのんびりコーシーで一服しとったんだ。アシスタント

                    から☎があっても、なんの用事だ?とまだ気づかない体たらく。折り返し

                    ☎しようとしてようやく気付いて平謝り、おっとり刀で首都高飛ばして

                    直行。

                     

                     さておき、炭火についちゃ以前記事にしたことがある。今年に

                    なって念願だった炭火が本格始動と相成ったと思ってくんねえ。今、Accu

                    Radioでジュディ・ガーランド「I Happen to Like New York」が流れて

                    うっとり。今じゃ誰も口にしないんだろうな、ジュディなんか。そして

                    ノラ・ジョーンズだ。次々と流れる音楽に浸ること「いとをかし」ってか。

                     

                     で、炭火だ。以前は時々だったんだ。毎日連続して暖を取ることはなく、

                    そのたんびにカセットコンロで着火することの「なんだかな〜」感に

                    苛まれていたのよ。昔なら、新聞紙丸めてマッチで火をつけ  またもや

                    ローズマリー・クルーニーかい、エエやないか。ほんでもってダイアナ・

                    クラールだ。記事が一向に進まないやないか。で、薪に火を移し消し炭

                    を置いておもむろに炭に進むってことなんだろうけど、今じゃカセット

                    コンロってことに負い目充分なアタイ。

                     

                     でも毎日炭火ってことなら、前の晩に2個程度の炭を追加して灰で

                    覆っておけば翌朝そのまま継ぎ足せばOK、なんだ簡単じゃんか。

                    毎日手を加え続ければカセットコンロの出番なし、経験済みの方々には

                    当たり前すぎてそんなことも知らんのか!と叱られちゃうことだけど

                    ど素人のこちとら、そんなことを知っただけでもけっこうな満足感でね。

                     

                     火鉢にゃ鉄瓶だろと銅板から打ち出したやかんを探しに青山まで

                    出向いたけどあまりの高額ぶりに二の足三の足。なによりも五徳が邪魔で

                    どうにもならない。鋳物の脚があるおかげで炭の置き場所が制限される

                    のに我慢ならない。やっぱ天井から吊り下げるのが最良の案なんだなと

                    古人の知恵に今更ながら感心したりして。

                     

                     朝、地下の室温はおよそ14度。炭を掘り返し継ぎ足し赤々な炭火で

                    数時間、徐々に室温は上がり20度になれば充分だ。これに小さなオイル

                    ヒーターが加われば温暖時間はもっと早くなるのは当たり前。でもさ、

                    寒いのが少〜〜〜〜〜しづつ暖かくなるのもいいもんでね。寒けりゃ

                    その分着込めばいいだけの話だからさ。どうってことはない。こうして

                    毎日炭火を堪能しているワケだ。

                     

                     手をかざせば直火の暖かさ、部屋全体はほのかな暖かさに包まれる。

                    問題といえば、炭の火の燃えカスともいうべき薄い灰。この灰で炭が

                    包まれると火の勢いは落ちいずれは消えてしまいます。だからさ、時々

                    火箸でいじって薄い灰を落とさなければならない。ペギー・リーの

                    フィーバーか、聞き馴染みだけどもいい。ほんでもって時折炭を足せば

                    OK。さして難しいことじゃぁない。

                     

                     こうして炭火と付き合い続けるとつくづくヒマな誰かが傍にいないと

                    どうにもならないことを改めて知る。それは誰か?となると老人しか

                    いないだろ。み〜んな仕事で出払っていて無人の家では無理な話ダス。

                    家族が分散し、それぞれが一家を構えることになって久しいけどさ、

                    それで失われたことっていっぱいある。そりゃ確かにアタイだって

                    大家族の生活なんか無理も無理なんだけど。子供が結婚し家を出て

                    夫婦二人っきりになって、アタイたちが死んだらこの家はどうなる?

                    なんてことを考えるとついつい大家族のことを考えてしまうんだわさ。

                     

                    炭火に手をかざし、今日この頃な・・・・・店主でした。

                     


                    隠居生活

                    0

                       年末、人生で初めて夜回り体験をしたんだ。町会に参加して最初のお仕事。

                      夜9時に神社に集合、まずは一杯と酒を飲む。こんなんでいいのか? と思い

                      つつも、寒いからな、まぁそういうもんだろ、炭火に手をかざしつつ呑んで

                      いたら、警官登場。ご苦労様へのご挨拶ってとこだ。ヒッチコックじゃないけど

                      警官に良い思い出なんかない。とはいえ違反をしたわけじゃないし、腰ベルト

                      の小さな皮バッグや靴なんかにツッコミを入れて可愛がってあげたてたら

                      署長まで来て、う〜む・・・・・・そういう付き合い関係があるんだな。

                       

                       夜回りは無事終わり、まだまだ呑むぞな雰囲気だけど、こっちの膀胱が

                      悲鳴をあげて、残念ながら自主早退と相成る。もっと呑みたかったなァ。

                      ほいでもって、年明けた15日に新年会があったんだ。定例会議での挨拶は

                      済ませてるけどさ、親しく話をするのは初めてだから、どんな雰囲気なの?

                      まぁ行って見んべえ、町内のレストランおよそ30人、アタイのテーブルは

                      女性3男性3の構成でね。隣の男性、我が家から歩いて数分に住む、下丸子

                      に住み始めて70年、ヘェ〜すごいな! と思ったのもつかの間、考えて

                      見ればアタイだって65年くらい住んでるから同じじゃん、あれやこれや

                      聞きまくりまことに結構な時が過ぎる。いいもんだなぁ〜。

                       

                       仕事がらみの付き合いじゃないのがイイ。単に近所に住んでいるだけだ。

                      お金が絡むこともない、妙な人間関係もない、ことが素晴らしく気楽だ。

                      これが古来言われている隠居ってものなのか。つくづく思ったワケだ。

                       

                       ちょっと違うかもしれないけど、こういうのを「連」っていうのかしら。

                      仕事とは関係のない集まり、それぞれの連に本名以外の別名を用意して

                      楽しむ、杉浦日向子ちゃんが教えてくれた江戸時代の生活ぶりがまざまざと

                      実感できる良い年齢になったってことか。そういや、悪所で本名の頭の一語

                      だけで呼ぶ習慣があったな。さしづめ村越なら「ム〜さん」ってとこだ。

                      今もそうなってるのかな?

                       

                       新年会の宴もたけなわ、議員が次々と挨拶に来る。区が二人都が一人、

                      いずれも自民党でね、こういうのがドブ板選挙って言うんだなと再認識

                      したわけよ。町内のあれこれに助成金をつけるってこともあるんだろう

                      けど、何よりも手始め第一歩の挨拶と言う儀礼は欠かせないのと違う?

                      なんで他党は来ないのかね。地元密着を目指す共産党ならば真っ先に

                      顔出しすべきだろうに。清く正しく美しくな感じの共産党は酒宴の席

                      には参加を控えるお達しでも出てるのかしら。今度聞いてみようっと。

                       

                       隠居生活を始めるにあたって長い関係の専門学校の講師を辞し、

                      数年続いた茶箱の脚の製作も辞退することにしたんだ。講師はなんだ

                      かんだ50年の付き合いだったけど、辞めることになって気が軽く

                      なったことに驚いたんだわさ。週一回3時間の授業だったけど、教える

                      ことの心の負担がかくも大きかったんだと痛感させられたのよ。

                      いろんなしがらみがなくなって気軽な身になったことの喜びって

                      いうかさ、自分のやりたいことに没頭できる心地よさっていうかさ、

                      死ぬまでこれで行けるという確信の日々に心は踊るってもんだ。

                       

                      炭火の爆ぜる音が気持ちいいぜ・・・・・・・・な、店主でした。

                       



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